神戸市北区|明石|新築一戸建てを建てるなら|パナソニックビルダーズグループ|吉富住宅株式会社

生まれた場所は大阪です。その頃、父は『吉富建設㈱』という不動産と建築の会社を経営していまして、いわゆる社長でした。母は、自身も宅建免許を取り、そんな父を支えながら、専業主婦をしていました。仕事ひと筋のがんこ親父と、それを上手にコントロールする尽くしガタの母親。仕事には、厳しい父でしたが、私には、いつも優しく、とても可愛がってくれました。父は、私にとって、理想の父親像でした。
その頃の私は、おとなしくて、おだてられると調子に乗ってしまう、わかりやす~い子供だったと思います。その気質は、今も変わらず、わかりやす~い社長なんです。
小学校の卒業文集には、もうすでに「社長になる!」という事が書かれていました。父の背中を見て育った私は、物心付いたときから、父と同じ道を歩むのだと思っていました。
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大学を卒業後、自分の可能性をさらに試したい!このままではダメだ!と思い、無職のまま、22歳の時に家出同然で、実家を飛び出しました。もちろん黙って出てしまったので、両親、特に母親にはずいぶん心配かけたと思います。10年以上を経た今日に至っても、深く反省しています。
当時、22歳の私は、この先どうするのか・・という具体的な考えは、正直、なかったと思います。ただ、わかっていたのは、私が、住宅業界以外では生きていけないということ。・・というよりは、ワガママですが、住宅業界じゃないと仕事する気にもなれなかったということです。
そんな私が考えに考えて出した結論は・・「もう、後には引き返せない!」「父と同じ道を歩もう!」
そこで、私は、何の保証もない代わりに、ハイリターンを得られる不動産会社に就職し、父と同じように7年で独立しようと考えました。父は、わずか17歳で住宅業界に身を投じ、24歳で独立しています。私は、22歳がスタートですから、29歳で独立を目指しました。
22歳で希望の不動産会社に就職した私は、事情を説明するために、初めて実家に戻りました。両親は、私が、家を飛び出して勝手なことをしてしまったことについては、ちゃんと理解してくれていて、許してくれました。
その後、私は、兵庫県の加古川方面で、一人暮らしをしながら、不動産の仕事に打込みました。右も左もわからない状態でしたが、朝は毎日8時に出社し、夜は夜中になるまで、来る日も来る日も、とにかく頑張り続け、気が付けば、お金をかせげるようになっていました。この頃、住宅業界の仕事が、自分には天職だと、あらためて思いました。
つらいこともありましたが、楽しいこともたくさんありました。お引渡しをしたあとのお客様の笑顔を見たときが、やっぱり一番嬉しい瞬間です。もう、何軒もお引渡しをしてきましたが、あの頃の感動と少しも変わらず、毎回毎回、感動の嵐になります。
それから7年後、かせいだお金を資本に、吉富住宅株式会社を設立しました。29歳のときでした。独立しようと、ある日、決心したのではなく、7年で独立すると決めていたので、当初の計画通りになったということですね。
私は、とにかく仕事に生きてきたので、女性に対しては、奥手な方でした。だから、結婚は遅いだろうなぁと思っていたのですが、28歳のときに、同じ職場で一人の女性と出会い、一目惚れをしてしまいました。私は、今までにないほど、自分でも意外なほど、猛烈にアタックを続けました。初めは、戸惑っていた彼女も、猛アタックの甲斐があってか、出会って2ヶ月後に初デートすることになりました。
それから半年は、仕事もそっちのけで、恋愛に主軸を置いた毎日となりました。「ずっと、この人といたい!」そう思った私は、彼女にプロポーズすることを決意しました。プロポーズは、初デートした場所で実行し、大成功でした!その年のクリスマス・イヴには入籍しました。
29歳で、目標通り独立した私は、大きな壁にぶつかっていました。それは、“集客ができない”ということです。いい家を作ってもお客様が来ない。来られても坪単価を伝えると、某ローコスト住宅と比較して、ぼったくりのように思われてしまう・・。
私は、いい家を、初めは正直な価格で提示し、あとから、「これは別です。」ということをなくすようなスタイルでやっていましたが、そのポリシーも、家の良さを語る機会にほとんど恵まれませんでした。
そんなある日、大阪の岸和田で、テクノストラクチャーという家を、パナソニック電工(当時は、松下電工でした)と、パートナーシップを組んで、坪単価30万円台で販売する会社と出会う機会があり、訪問させていただきました。
その会社の、スタッフの皆様は、みんな生き生きとしていて、私が受付の女性に、ある質問をすると、ある答えが返ってきました。これが、私がパナソニック電工とパートナーシップを組んで、テクノストラクチャーという家を販売するのだという、大きな影響を与えた出来事でした。
ある質問とは、「某ホームとバッティングしたら大変でしょうね?」ある答えとは「某ホームとバッティングしたら、もう契約もしたも同然です。」この答えは、私が追い求めていたそのものだったのです。
解説すると、とにかく地震に強い家をパナソニック電工とパートナーシップを組むことにより、より根拠を持たせて、しかも坪単価30万円台でそれを販売する。これだけでもすごいことでしたが、私を感動させたのは、その後のことです。
チラシには、別途かかる基本的な経費を記載し、それは、正直な最終価格をうたったものであり、モデルハウスは、基本的なオプション(エアコン、カーテンetc)を除いて、すべて標準仕様のものという点です。
正直な形のものを、ありのままに見せて、また、正直な金額提示をチラシでしてしまう。チラシもありのままのものだから、お客様には非常にわかりやすく、安心できるものなので、受け入れられやすい。だから集客がある。だから売れる。だから喜んでもらえる。だから、他業者はこわくないということです。
私は、この考えが好きになりました。正直なままでいい。また、お値打ち価格で、阪神淡路大震災と同等の地震が起こっても、財産と生命が守れるテクノストラクチャーに、一目惚れしてしまったのです。
私は、訪問させていただいた岸和田のお会社の社長に、正直な気持ちを打ち明け、松下電工(現パナソニック電工)を紹介してもらい、その後、今日に至るというわけです。
当社の販売しているテクノストラクチャーの家は、ウソがありません。家にも商いの方法にも、正直さが満ち満ちています。
この素晴らしい家を世にもっと広めることは、私たち住宅業者の使命であり、喜んでいただいたお客様の数に比例して、当社も、そして、そこで働くスタッフのみんなにも、たくさんの喜びが生れるはずです。私は、そう信じています。